宮崎駿監督を父に持つ宮崎吾朗監督のデビュー作、『ゲド戦記』。
あらすじと感想、作品情報などをご紹介していきます。
このページの目次
『ゲド戦記』のあらすじ
ハイタカとアレンの出会い
魔法使いが力を持つ「アースシー」という世界では、竜が人間の住む世界に現れて共食いを始めたり、魔法使いが魔力を失ってしまったりと、異変が起こっています。
何者かによって均衡が失われてしまったためです。その原因を探るべく旅に出たハイタカ(ゲド)は、エンラッドという王国の王子で、父親を刺して国を脱出してきたアレンと出会います。彼らは共に都城の「ホート・タウン」に向かうことになりました。
腐敗したホート・タウン
かつては美しい街だった「ホート・タウン」は、麻薬の密売や人身売買が横行する荒んだ街に変わり果てていました。これも、均衡が乱れたことがきっかけで人が狂ってしまったからです。
アレンは街で人狩りのウサギに追われていたテルーを助けますが、逆に自分が捕まってしまいます。奴隷として売られそうになったところをハイタカに救ってもらい、アレンはハイタカの知り合いのテナーの家で一緒に生活することになります。
アレンとテルーの再会
命を大切にしながら生きているテルーは、生きることに目を背けるアレンを避けます。しかし彼は、テナーのもとで生活していくうちに人間らしさを取り戻します。畑を耕したり、家畜の世話をたりする素朴な生活の中が、彼に生の喜びを思い出させたのです。
一方でハイタカは世界の均衡を崩しているのが自分を逆恨みしている魔法使いのクモだと察します。クモはハイタカが現れたことを知り、アレンを使ってハイタカを倒すことを決めました。
アレンとテナー、連れ去られる
クモは、アレンの「影」を利用して彼を自分の城へ連れ去ります。この世界には、真の名を知った相手のことを支配できるというルールがあります。そのため、人は皆別の名前を持ち、真の名は本当に信頼できる人にしか教えません。しかしクモはアレンを誘導して真の名を言わせ、彼を操ってしまいます。
そのころテナーの家にはウサギが押し入り、テナーを無理やり連れ去ってしまいます。彼女を人質にして、ハイタカを城に来させるためです。ハイタカは留守にしていたため、テルーは抵抗できないままテナーと離ればなれになってしまいました。
ハイタカ、囚われる
テルーから事情を聞いたハイタカは城へ向かいますが、魔力を奪われてテナーとともに幽閉されてしまいます。
家にいるように言われていたテルーは、皆を助けようと1人で城に向かいます。なんとかアレンのもとに辿り着いたテルーは、クモによって生気を奪われたアレンを説得します。
テルーの言葉で暗黒の力に打ち勝ったアレンは、ハイタカとテルーを助けるためにクモと戦います。
クモとの戦い
クモは強力な魔法を武器にアレンとテルーの前に立ちはだかります。戦いの途中でクモに捕まってしまったテルーは殺されてしまいました。アレンはショックで茫然と立ちすくんでしまいますが、次の瞬間に奇跡が起こります。
なんと、テルーが蘇ってドラゴンに姿を変えたのです。そして彼女はクモとの戦いを繰り広げ、とうとうクモを倒しました。
実はテルーは、人間として生きることを選んだ龍族の子孫でした。窮地に立ったため本来のドラゴンの姿に変わったのです。
別れ
世界の均衡を崩していたのは、永遠の命というタブーを求めていたクモでした。クモがいなくなってバランスを取り戻した世界には、再び平和が訪れます。
アレンは国に帰って自分が犯した罪を償うため、テナーとテルーに再会を約束し、別れを告げてハイタカとともに旅立っていくのでした。
『ゲド戦記』の感想
力の使い方を間違えてはいけない
ハイタカとクモは、対照的な人物として描かれています。ハイタカは大賢人と呼ばれるほど優秀な魔法使いですが、極力魔法に頼らない質素な生活をしています。一方でクモは、永遠の命を求めて強力な魔力を武器に「生」と「死」の扉を開けてしまいます。力を過信したクモは、最終的に滅ぼされてしまいました。
このことから言えるのは、力を持つ人はそれを自負してはいけないということです。この「力」というのは、財力や地位などに当てはめることができます。
人とは違う何らかの「力」を持った人は、ハイタカのように常に謙虚な姿勢を保つことが大切なのだと思いました。
クモの迫力がすごい
クモの声は、『もののけ姫』でエボシ御前を演じた田中裕子さんが担当しています。耳をすましていないと聞き取れないほど、呟くように話すのが印象的です。
しかしそこからは、爆発しそうな憎しみや怨念を抑えている感じがひしひしと伝わってくるので本当に恐ろしく感じます。
特にアレンに誠の名を言わせるシーンには、見ている人の心をも操ってしまうような怖さがあります。彼女は常に落ち着きを払っていて、何にも動じない鉄の心の持ち主です。その冷静沈着さゆえ、どこか人間離れした雰囲気をまとっています。ここにも情に溢れたゲドとの違いが現れているように感じます。
アレンとテルーの対比
アレンは王国の王子で、幼い頃から何不自由なく暮らしてきました。一方で孤児のテルーは、テナーに引き取ってもらわなかったら今頃命はなかった、という壮絶な経験をしています。
与えられた命を当たり前のように受け取り、さらにそれを粗末にするアレンを、テルーは許せなかったのでしょう。アレンには王子なりの苦悩があったのですが、テルーは始めそれが理解できずに、彼を毛嫌いしていました。
「命を大切にしないやつなんて大嫌いだ」といつセリフに、全てが集約されている気がします。
荒んだアレンが、家畜という命と関わったり、畑仕事という有史古来の生の営みで人間らしさを取り戻していく様子を、2人の性質の違いがより印象的にしているのだと思いました。
『ゲド戦記』の作品情報
上映日 | 2006年7月29日 |
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上映時間 | 115分 |
制作国 | 日本 |
ジャンル | アニメーション映画 |
監督 | 宮崎吾朗 |
キャスト | 岡田准一、手嶌葵など |
原作 | アーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記」 |
主題歌 | 時の歌 |
登場人物紹介
アレン(岡田准一)

生きることに目を背けている王子。「影」に怯えながらも、ハイタカやテルーと接することで生きることに対して真っすぐに向き合うようになります。
テルー(手嶌葵)

テルーのもとで育った少女。命や自然の尊さと向き合って暮らしています。テルーは生きることから逃げるアレンを嫌いますが、徐々に理解を示すようになります。
ハイタカ(菅原文太)

大賢人と呼ばれる偉大な魔法使い。魔法使いでありながら、魔法に頼らずに自分の手足で生きていくことを大切にしています。
テナー(風吹ジュン)

ハイタカの知り合い。テルーを育て、アレンを快く住まわせる優しくて芯の強い女性です。
クモ(田中裕子)

死ぬことを恐れ、不死の命を手に入れようとする魔法使い。冷酷な人物として描かれていて、温厚なハイタカとは真逆のキャラクターです。
ウサギ(香川照之)

クモによって心を操られた兵士。 アレンやテルーの前に現れて、2人の邪魔をします。